中村一美 『作品の表現主義性が増していくということは、規律的にコントロールする強化された形式を要す』

このブログのなかでも、何回か中村一美の絵について語ってきました。(蛇足ですが、アーティストや作家をを紹介するときに「先生」と書くべきか、呼び捨てにすべきか迷う。。でも、なんというか、今回は気分で「中村一美」で統一します。「さん」づけしても友達でも知り合いでもないわけだし。日本語難しいですよね。)
今回も中村一美の新作について、少しだけ感想をつぶやきます。自分でもどうして中村一美の絵について語りたくなるか不思議です。でも、ひとつだけ確実なのは、やはりこの突出した「品質」と「危険さ」について記録しなければという想いがあることです。

広尾のKaikai Kiki Galleryで来月4月2日まで開かれている中村一美個展『作品の表現主義性が増していくということは、規律的にコントロールする強化された形式を要する』に行ってきました。冒頭で「語りたくなる」と宣言したばかりですが、今回の展覧会をみて、過去に自分が試みたコンセプトや意味合いを読みとろうという姿勢は間違っていたなと感じました。陳腐な言葉ですが、一言でいって今回発表されている絵画たちは「凄い」に尽きると思います。理屈抜きに絵画として「凄い」。
絵画の良し悪しの基準はもちろん主観に基づいているし、ましてやアートの専門家でもない僕が「凄い」と言ったところで何の意味もないのです。しかし、それにしても、やっぱり、、「凄い」!!!!!(うおー!!!!!)
その「凄い」と思わせる力のひとつは、徹底されたフォーマリズムにあると思います。「良い絵」「悪い絵」の基準のひとつは、「品質」にあるかと思います。そのなかでもフォーマリズムの品質は大事だと思います。中村一美の絵は、すごく丁寧にできていて、繊細なバランスで組み上がっています。そうでなければ、単なる暴力的な絵になるし、もっと言えば、雑な絵になるはずです。でも、紙一重のところで「これ以上の正解はない」という品質(ゴール)まで押し上げている。これは、理屈や屁理屈ではなくて、実践者や労働者だけが絵画の神様との対話によって手に入れられる技術だと思います。なんだかオカルトめいたことを言っていますね。でも、僕の目には中村一美の新作は、オカルトー超自然の領域に入っていました。ある種、懐かしめるはずもないけど懐かしいあの「西洋近代絵画」のようでした。なので、Twitterで「あれは射精だ」という意見があったことは納得できます。セザンヌピカソー抽象表現主義という路線でみれば、確かにそうかもしれない。けれども、現代の多様性受容、アンチマチズモの傾向に反するような「ガチなフォーマリズム」を前に、政治や歴史の概念はぶっ飛んでしまい、ただただペインタリー享楽に溺れてしまう。猛毒であって、媚薬であって、やはりオカルトな絵画だと思うのです。悪い例えですが、エロ本です。でも、エロ本じゃダメなんでしょうか。真っ正面から気持ちイイ絵画。それはどこか懐かしくて、懐かしいからこそ新しいと思うのです。



と、独りよがりに絶賛マスターベションが済んだところで、少し考えたことを書きます。

1)影と痕跡
今回2015年に描かれた『絵巻』シリーズが7点発表されています。そのなかで、フラットな背景に最小限のストロークが舞う作品があります。淡いピンクの上に、混色のストロークがクロスオーバーしています。『存在の鳥』などに比べて、一見とてもシンプルな構図なのですが、各ストロークに対するように薄い色で「ストロークの痕跡」が描かれています。これらは濃い茶色なので、まるで各ストロークの影のようにもみえます。すると、ストロークがフラットな背景から立体的に浮き出てるようにみえて、構図の躍動感が増します。しかし、これらを先述のように「影」とみるか、それとも「痕跡」とみるかによって作品の顔が変わってきます。「影」であるならば、それは現在起きている運動に対するものです。「痕跡」であるならば、それは過去に起きた運動に対するものです。「影」には命はないのですが、命あるもの(ストローク)を追う無の存在です。それは「痕跡」というメタファーでも同じで、焼き付かれて炭や灰となってしまった「痕跡」も、つまりは命はないのだけども、命が別にあったという証拠です。より動的(いまここ)なのが「影」で、より静的(かつて)なのが「痕跡」だと思います。生きたストロークを追うある意味死のストロークたちは、影なのか?痕跡なのか?、明確にさせていないことによって、より複雑な時間や次元のズレを生じさせていると思います。

2)2つの作品の対比
「Super Painting」という造語が許されるならば、今回発表された『存在の鳥303』(2015ー16)と『死を悼みて湿潤の黄瀬やちに立つ者』(2003ー15)は、それだと思います。前者にはエロス、後者にはタナトスの力が漲っていました。


写真や動画では伝わらない迫力がありますので、ぜひ現物をご覧になることをオススメします。
^^Vではでは、またお会いしましょう。


中村一美個展 「作品の表現主義性が増していくということは、規律的にコントロールする強化された形式を要する」
2016年3月8日 – 2016年4月2日
http://gallery-kaikaikiki.com/

こぐま