『監督失格』: 被写体として生きるふたり
はじめてTOHOシネマズ六本木ヒルズで映画を観た。きれいな映画館だ。土地柄か、清楚な服装をした観客が多かった。大都市にあるのだから当然かもしれない。でも、映画は対照的に生々しく、おどろおどろしかった。上映後、外に出て感じたこのギャップが印象深かった。もちろん親近感を覚えるのは、大都市の清潔感ではなく、映画の生々しさ、おどろおどろしさだ。
『監督失格』は、監督平野勝之の愛の告白である。彼は、かつて女優林由美香と不倫関係にあった。東京から北海道へのふたりの自転車旅行を撮ったドキュメンタリー映画『由美香』で垣間見えるように、その関係はあやうい(『由美香』は、劇中頻繁に引用される)。マッチョだが、繊細な平野。自由奔放にみえて、芯が強い林。東京に到着したあと、ふたりは別れる。破局から数年後、平野が林を訪ねる。しかし、そこでフィクションのようなこのドキュメンタリー映画に残酷な現実が挿入される。林の35歳の誕生日であったその日、林は、平野と母親によって死体として発見される。アルコールと睡眠薬による事故死だった。そこから監督の告白が始まる。彼にとって林は何だったのか。
全編を通して、平野と林は「カメラ」でつながれている。ふたりは被写体として自身が撮影されること、または自身を撮影することに執着する。「カメラ」を持ち歩いて生活しない私たちにとって、それは奇妙な三角関係だ。彼女との喧嘩を後悔して泣く自分の姿を撮影する勇気がなかったと言う平野。林はそんな彼に「監督失格だね」とつぶやく。私たちは、それが撮影のためなのか、はたまた実存を感じ取るためなのか、分からない。意図なんてないのかもしれない。ただ、ふたりは夢遊病者のように「カメラ」の奥の世界に住もうとする。観ること/観られること、フィクション/ノンフィクション、または生/死。浮世離れした成人男女の身勝手なドキュメンタリーのはずなのに、「カメラ」の介入によって様々な位層で緊張が生まれる。そして、クライマックスには叫びにも似た監督の「告白」が待っている。失笑する人もいるかもしれない。なぜならば、結局他人の恋愛なんてフィクションだからだ。いや、当人にとってもフィクションなのかもしれない。被写体として生きる想像の私と、個として生きる現実の私。どちらが本物か分からないような「私」に会うため、平野・林には「カメラ」が必要だったのかもしれない。
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